写真屋@吉田ブログ

写真に喝!

【二輪レーサーの死】④ ~加藤直樹~ 享年34歳

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『ロードレースを愛した男』
加藤直樹は東京都日野市出身。最初のレース活
動は関東選手権「筑波」でスタートを切った。
1998年に国際A級へ昇格。GP125で活躍する。
しかし、当時のGP125は参加台数が凄く多く、
予選もA組B組C組に分けて行われていた。その
中から予選を通過したライダーが決勝グリッド
につく訳だが、プライベーターで毎回予選を突
破するのは「至難の業」であった。
加藤直樹は1999年、全日本10戦中9戦も決勝出
場を果たした。
自分が加藤直樹を撮るようになったのは友人が
加藤選手の事を「ナッキー」と呼んでいて、頼
まれたからである。確かに2000年の加藤直樹
「気迫」に溢れていた。写真でもわかる通り、
凄く良い目をしていた。
そんな加藤選手とサシで1杯飲むことになったの
は2000年9月頃だったと思う。御徒町の「清龍」
で約1時間ほど語った。
きっかけは自分が加藤選手に写真を送っていた
為、その「お礼」だったと思う。Jhaレーシング
(サテライト体制)の事や全日本ロードレースの活
性化の話し。そして、二輪レーサーの安全性や
地位向上などについて語った。「レーサーで1番
仲の良い人は?」と尋ねると「山口辰也」(元HRC
ワークスライダー)と即答。「あいつは本当にい
い奴だ」と熱く語っていたのが印象的だった。
勘定は自分が払おうとしたら「いや半分払いま
す」と爪の中が(OILで)汚れた手で止めてくれ
た。我々は割り勘で店を出た。彼は彼なりの
「ファンサービス」だったのだろう。
同年の全日本最終戦(筑波)加藤直樹はGP125
初優勝を遂げるのである。東京中日スポーツ
加藤直樹初優勝!」の見出しがデカデカと載っ
た。Jhaのサテライト体制で「あいつ遂にやった
か~」と思った。

今振り返ると、あの時が「加藤直樹の黄金期」
であった様に思う。それ以降は、年賀状のやり
取りだけになった。新年のひと言には「今年は
ST600でがんばります!」と書かれていた。
その翌年は「8耐に出場します!」。デカバイ
(大型)乗りになっちまったのか?と疑問に思っ
た。恐らく、走り続けるにはそれしか選択肢が
なかったのだろう。自分はGP125に跨る加藤直
樹が大好きだった。

2006年、全日本ロードレース開幕戦のツインリ
ンクもてぎ(決勝)のST600スタート直後5コーナ
ーでの事故(後続車に轢かれる)で、加藤直樹
帰らぬ人となった。東京中日スポーツにて「加
藤直樹事故死」を知った。心よりご冥福をお祈
り致します。
GP125ライダー加藤直樹 Good Bye!

No35 Jha RACING <RS125R> [00,筑波]
Nikon N-FM2 ED400mmF3.5S+X2 1/500
Iso400

No4 Jha RACING <RS125R> [01,筑波]
Nikon F5 AF-S 500mmF4D SWM 1/750
Iso200