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【二輪レーサーの死】⑤ ~永井康友~ 享年29歳

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『目玉ヘルを広めた男』
永井康友は埼玉県出身。最初のレース活動は
1986年筑波選手権でスタートを切った。1987
年、ヤマハ系の名門チーム「SP忠男レーシン
グ」から国内B級(NB)へエントリー。TT-F3、
SP400でダブルタイトルを獲得。当時は「スー
パー・ノービス」と呼ばれた。翌年、国内A級
へ昇格。全日本(NA)GP250チャンピオン獲得。
1989年、国際A級昇格と同時にヤマハワークス
入り。全日本TT-F1クラスに参戦開始。1993年
のTT-F1シリーズ終了まで全日本TT-F1に参戦
し続け、通算「6勝」を挙げた。
1994年より新設の全日本スーパーバイクへ参
戦開始。「ヤマハの4スト乗り」の印象を強め
る。自分が見る限りの印象は、特別速い訳で
もないし、先頭集団にはいても優勝争いをする
シーンは少なかった。
しかし、同年、スポット参戦したボルドー
24時間耐久ロードレースで優勝する。(with
サロン兄弟)
翌1995年、世界スーパーバイク選手権に日本
人初のFULL参戦。シーズンも後半に差しかかっ
た第10戦オランダ・アッセンの第2レースで他
車の撒き散らしたオイルへ乗って転倒。自身が
滑り、その上を舞っていた自分のバイクが落下
し、運悪く直撃。同年のランキングは「5位」
となった。当時、ヤマハにはクラスは違えど
数多くの「名ライダー」がいた。藤原儀彦、
町井邦生、本間利彦などと共に「世界グラン
プリ」へ出るべきライダーの一人であった。
1995年に念願が叶った矢先の事故。永井康友
の華麗なライディングフォームが今でも脳裏
に焼付く。レースの世界に「たら・・れば・・
もし」はないが、もし、生きていれば44歳。
全日本で(ツッパって)チーム監督をしていた
だろうか。

No5 KIRIN Mets Racing Team YAMAHA
<YZF-750> [93,SUGO]
Nikon N-FM2 ED400mmF3.5S+X2 1/500
Iso400